自己紹介
1989年3月
僕は福岡県の田舎にある、小さな町で生まれた。
小さいころ、家の横に公園あり、
近所の友だちや弟と、かくれんぼや鬼ごごっこ、秘密基地を作って遊んでいた。
小学生のころは、朝早くから学校に行き、
同じクラスの友達と運動場でフットベースボールを
していた。
小学4年生から、友だちに誘われたのがきっかけで、
サッカーチームに入り、高校3年生までずっとサッカーにのめりこんだ。
中学、高校のサッカー部は練習がとてもきつく、
毎日へとへとになるまで頑張っていた。
部活時代の友だちはきつい練習や試合を一緒に
乗り超えてきたので、今でもいい友達だ。
僕は、勉強は得意な方ではなく、特に国語や英語がとても苦手だった。
唯一、授業の中で好きだった理科は、テストの点数が
良かったため、大学は理科のテストだけで入れる理系の大学を選んで進学した。
私立の大学だったため、学費が高く、
両親にとても迷惑をかけてしまった。
僕の家は、裕福な家庭ではなかったため、
両親は、大学に進学するために無理をして
お金を出してくれていることは知っていた。
とても申し訳ない気持ちでいっっぱいだった。
僕は高校の友達が大学に進学するという理由で、
何となく大学に進学した。
「大学を卒業するのだから、良い企業に就職できるだろう!」
と、軽い考えを持っていた。
大学に通うために、高い学費を払ってもらっていたので、
いい企業に就職しないといけない。と思っていた。
理想とのギャップに苦しんだ社会人時代
社会人になり、少しでもお金を稼いで、
親孝行をしたいと思ったからだ。
ただ、現実はそんなに甘くなく、、
就職してからの給料やボーナスは自分が
想像していたよりも少なかった。
社会人になってお金をたくさん稼いでやる!
と思っていたので、会社説明会の募集要項を
見た時、初任給の低さに衝撃をうけた。
大学卒業後の初任給は平均20万円で
大手でも25万円の会社が多かった。
大学時代にアルバイトで、20万円を稼いでいた時期も
あったので、社会人になってもアルバイトの給料とあまり
変わらないことがショックだった。
就職活動をしていくにつれ、価値観が変わり
『年功序列』、『安定収入』よりも、『自分の頑張りで給料が変わる会社』
に魅力を感じるようになった。
そして、
大学卒業後に完全歩合制の営業会社に入社した。
太陽光発電システムを販売する仕事で、家の屋根についている
ソーラーパネルの会社だ。
年齢関係なく、自分の成績が給料に反映される会社だった。
自分が頑張れば頑張るほど給料が上がる!ため、
働くのがとても楽しみだった。
入社1年目の新入社員は、個人住宅を回り、アポイントを
取るのが仕事だった。
アポイントが取れたら、上司がクロージングし、
それが成約したら給料に反映される形だった。
僕はしゃべりがとても下手だったが、それが逆にお客さんにうけて
アポイントはとれている方だった。
上司はクロージングがとても上手かったので、
僕がとってきたアポイントを次々と成約していった。
そのため、
初任給は手取りで25万円で、入社6ヵ月目で手取りで40万円をもらい、
新入社員の中で売上1位で表彰を受けた。
新入社員で売上が1位をとれたのは嬉しかったが、
正直にいうと、素直に喜べなかった。
僕がアポイントをとり、話が上手い上司が、
クロージングをして、売上が上がっていたのを
自分が一番理解していたからだ。
そして、
入社8ヵ月目に、事件が起きた。
僕の成績を見た社長が、
『アポイントからクロージングまで1人ですべてやってみないか?』
と言われた。
僕は、トークや商品説明がとても苦手だったので、
お客さんの家に行き300万円~500万円の商品を
自分のトーク力で成約する自信がなかった。
社長、支店長、上司からの期待も同時にかかり、
プレッシャーで押しつぶされてしまった。
3ヵ月間頑張ってみたが、売上も全く上がらず、
会社からの期待にも答えることができずに、
ストレスでうつ病になってしまい、会社を退社した。
就職先が愛知県だったため、
会社を辞めた後は、地元の福岡県に帰った。
友達と連絡をとりたくなく、誰にも会いたくなかった。
何もしていないのに急に息苦しくなったり、
夜は1時間寝て、また起きて、を繰り返し、
1ヵ月くらいは、ほとんど眠れなかった。
そんな生活を半年間過ごしていた時、
『このままじゃ本当にやばい!』
と思い、とりあえず働こうと行動することにした。
転職して感じたお金の重要性
最初に就職した会社が、
週一休みで朝6時起き、深夜0時帰りだったので、
次の会社は、給料は少なくても、自由に使える時間の
あるところで働こうと決めた。
そして、週休2日制で勤務時間は朝9時から
19時までの会社に就職した。
この会社で、定年まで働くのなるのだろう!
と思っていたが、入社3ヵ月後にまた事件が起きた。
10こ上の上司の給料が、僕の給料とたったの2万円しか、
変わらなかったのだ。
僕の年齢は23歳で上司は33歳だったので、
10年後の自分は、上司と同じ給料になる!
そして、20年後、30年後を想像しても、今貰っている給料と
あまり変わらないんじゃないか?と不安に感じた。
社会人1社目で、お金はあるが時間がない生活を経験し、
2社目では、自由に使える時間はあるが、お金がないのをを経験した。
その時、
『 お金 』 と 『 時間 』 どちらも手に入れるためには、
会社員では難しいのではないか?
『 お金 』 と 『 時間 』 どちらも手に入れるためには、
自分で独立して、ビジネスをしないといけない!と思った。
人生を変えるきっかけとなったアフィリエイト
そこから、
会社員をしながら、副業を始めた。
僕が初めて副業に選んだのは、 『アフィリエイトビジネス 』 だった。
いろんな副業を調べている時に、
初心者におすすめの副業は、リスクが少なくできるアフィリエイトビジネスだ!
と、雑誌やインターネットに書かれていた。
そこには、
『楽して簡単に月収100万円!』
『寝ているだけで働かずにお金が入ってくる!』
『ブログが勝手にお金を稼いでくれる!』
と書かれていた。
僕は、『胡散臭いな。。。そんな美味しい話があるはずがない。。。』
と思いつつも、
『楽して簡単に稼げるなら、やるしかない!』
『これはすごい話を知ってしまった!』
と感動した。
そして、インターネットで、『情報商材』 と言われる、
お金を稼ぐための教科書を、たくさん購入した。
1件3万円のものから、高いものは30万円くらいするものもあった。
買っては稼げない。。。買っては稼げない。。を繰り返して、
合計200万円くらいのお金を使ってしまった。
そして、それを3年くらい続けた結果、どれも稼ぐことができず
時間とお金だけを使い、副業にも疲れてしまった。
会社員の時に貯めていたお金もほとんど使い切り、
自分が理想としている、
自由に使える 『 時間 』 と 『お金 』の両方を手に入れることは、
とても難しいことだと思い知った。
これからどうやって生活していこうかと考えている時に、
学生時代の同窓会があり、そこで同級生と久ぶりに会った。
10年以上も会っていない友達だったので、
今までの自分のことを話したり、友達の今までのことを聞いた。
その時に初めて、友達も同じように、
時間とお金に縛られずに、自由に生活をしたい!と思っていることを知った。
その友達も、僕と同じアフィリエイトビジネスをしていた。
ただ、僕と大きく違っていたのは、友達はアフィリエイトビジネスだけで、
毎月200万円以上を稼いでいることだった。
僕はアフィリエイトビジネスでお金を稼げなかった経験があるので、
友達が言っていることを、最初は信じることができなかった。
ただ、
色々と話を聞くうちに、自分が今までにやっていたことと
全く違うやり方でアフィリエイトビジネスをしていることを知った。
友達は僕にこう言った。
今まで、お金を稼げていなかったのは、
『 正しいノウハウを知らない状態で、がむしゃらに頑張っていたからだよ! 』
『 正しい稼ぎ方を知った状態で、正しい努力ができればお金は稼げる! 』
この言葉を聞いた時、今まで自分がやってきたことが、
間違っていた!と初めて気づいた。
そこから、友達にお願いをしてアフィリエイトビジネスについて
勉強させてもらった。
自分で色んな情報商材を買って集めたものとは、
全く違う目線とやり方だったため、とても驚いた!
今まではどんなに頑張っても月収3万円しか稼げなかったが、
友達のもとで勉強し始めて結果が大きく変わった。
それから半年で、月収30万円を稼げるようになり、
1年で月収100万円、3年で月収300万円と、どんどん収入が上がっていった。
今では、年収5000万円は安定して稼げるようになり、
『時間 』 と 『お金』 を自由に使えるようになった。
お金を稼げるようになって気づいたことがある。
それは、『 お金は人生を豊かにする道具でしかない 』 ことだ。
最初はお金にこだわってビジネスを始めていたが
どんどん成果を出すうちに、自分だけ稼いでもつまらない。
周りを勝たせてこそ自分も幸せになれると思った。
これからは周りの人をもっと幸せにするために、ビジネスに取り組んでいこうと思います。
このブログを読んでる人には、僕がこれまで学んできた知識や経験を存分に受け継いでもらうので楽しみにしてくださいね